北岳・仙丈ヶ岳山行記録
時間表記はGPSのログによる


文責/撮影

頓知亭


行 程
2005/08/某日
前日〜一日目
JR元町〜甲府駅

一日目
甲府駅〜広河原〜八本歯のコル〜北岳山荘

二日目
北岳山荘〜北岳〜大滝〜両俣小屋

三日目
両俣小屋〜仙丈〜北沢長衛小屋

四日目
北沢長衛小屋〜広河原〜甲府駅
事の始まり

 僕は八ヶ岳の山行の結果に満足し(やっぱり、いい気になっ)ていた。それが今回の山行の結果につながってしまった。
 その顛末はこの通りだ。今は反省している。

移動日〜一日目
 明日から日本第二の高峰、北岳に挑む。今回は単独行ではなく、前回の八ヶ岳山行に同行する予定だった、学生時代の友人と一緒だ。彼がわざわざ来神して集合してくれるというので出発前に、最近教えてもらって気に入って何度か足を運んでいる、カレー屋さんにて昼食とする。彼もすこぶる喜んでくれて幸先の良いスタートとなった。

 今回は交通費を抑えるため青春18切符による移動となった。午後一時頃に神戸の元町駅を出発し夜中の十二時前に甲府駅に到着し仮眠とする、ある意味古式に則ったアプローチといえるだろう。事前調査によれば、夜中の二時半頃に東京方面からの夜行列車が登山客を満載して到着する。従って、彼らが来る前にバス停に並んでおく必要があるかもしれない。僕たちが駅に着いた時点で部活らしき高校生をはじめ、すでに駅寝の登山客が十人位はいたように思う。
 同行の友人は高校時代は山岳部で今も現役の筋金の入ったバックパッカーでもあるので(高校時代には始めていたと云うからすでに生涯の半分は放浪癖とともにあるわけである)駅寝作法の基本を教えてもらって仮眠に入る。それはこのようなものだ。

一、寝づらくとも明るい場所で寝る。これは暗がりだと犯罪に遭いやすいためである。

一、通路のど真ん中で寝ない。これは列車は意外に遅くまで運行しているし、寝坊して目覚めたらラッシュの人々の雑踏の渦中かもしれず、これは迷惑かつ危険であるためである。同様の理由で階段も危険である。

一、先住者が居る場合、彼らの寝場所がすべて定まったのを確認してから寝る。これは先住者とのトラブルを避けるためであるが甲府駅ではこの心配はほとんど不要だった。

 他にも色々あるらしいのだが治安の良い駅だったので他の心配は要らないらしかった。仮眠に入って一時間経つか否かという頃にバス会社の係員の方に「東京方面の夜行が来るから人数確認のために広河原行きの人はバス停にザックを並べておくように」と指示を受ける。その通りにしたあとバス停のベンチにて引き続き仮眠をとるが結局たいして眠れなかった。
 早朝四時に登山バスが来て車中の人となる。二時間ほど揺られるのだが狭い道なのにかなりとばすので本当に揺れがすごくて(早朝なので対向車とのすれ違いを心配する必要がなかったためだろうか)寝不足で半睡の僕(と後ろの席の人)は車窓に何度も「ガン」と側頭をぶつけてそのたびに車内の注目を集めていたらしい。とまれ窓ガラスを割らずに済んで幸いだった。時々目が覚めて車窓に目をやるとここは本当に日本なのか、というような高所をバスは走っている。どえらいところに来てしまったと思うと同時にここを徒歩や輪行でアプローチするとしたら大変だろうなあ、でもそういう人もいるんだろうなあと思う。

第一日目
広河原〜八本歯のコル〜北岳山荘幕営

 2時間以上バスに揺られ広河原に着き(06:30)、身支度をする。僕はGPSに電池を入れたり登山靴に履き替えたり、地形図を確認したりと、いつも出発に手間取ってしまう。この日も歩き出したのは同乗者では最後だったように思う。
 アルペンプラザで登山計画書を提出し、取水する。登山口の吊り橋にやってきたところで本日の第一の目的地の北岳が見えた。大樺沢をズドーンと突き上げた先に雪渓、さらに先に八本歯のコルが見える。それはとてもいい眺めだったけれども、その絶望的な遠さに僕たちは顔を見合わせ、苦笑した。同行者が「無理かなあ」とつぶやいた。しかも僕たちはこの日は両俣小屋まで行くつもりだったのだ。
 広河原から北岳に至るには大きく分けて大樺沢に沿うコースと草すべりを経由する小太郎尾根の斜面を行くコースがある。後者の方が登りとトラバースが交互にあるので歩き安そうだが先行者が皆、大樺沢にルートをとるのをみて、それだけの理由で僕たちもそちらの道程を辿ることにしてしまった(これは失敗だったかも知れない)。
 このコースは常に北岳の雄姿と雪渓を眺めながら歩けるのでなかなか良いのだが、登りっぱなしが延々と続くので、隊としての経験の浅い僕はお互いのペースを合わせることもままならず、大変苦労した。下りやトラバースらしいトラバースもない行程ということは足を休めるにはペースを落とすかとどまるかしかなく、変化の少ない眺めの良さは転じて僕たちが依然として北岳に近づいていないということを証明し、思い知らされる。これは苦行のようなものだった。疲労は感受性を減殺し、せっかくの景色もついには僕に何の感興も与えてはくれなくなっていた。ただただマイナスイオンだけが僕の胸腔を過ぎていく。
 大樺沢二俣という草すべりからの下りの合流点と八本歯のコルとの間の半分のあたりから急な登りになり、最後はいくつあったかも思い出したくないハシゴである。八本歯のコルにたどり着いたのは15:50という有様だった。しかも寝不足で疲れ果てていた僕は眠気に襲われここでマットを敷いて15分ほど眠ってしまったのだった。同行者は心配気かつ呆れ果てていたが後で聞いたら彼も睡魔に襲われていたらしい。仮眠を取って多少集中力を取り戻したものの、この行程にとどめを刺された僕たちは予定の半分の北岳山荘に幕営地を求めるのがやっとだった(17:08)。これで今日は両俣小屋までいくつもりだったとは聞いてあきれるというものであろう。ツェルト泊の僕はひどい結露と二四時間止まらない(エコトイレ用)発動機の燃料の燃焼するにおいとトイレの匂いに喉を苦しめられ、さらに斜めになってしまっていた寝床に完全に参ってしまい、ついによく眠ることができなかった。どれかふたつくらいなら我慢もできたものを、と思う。だから夜中に目が覚めてツェルトから顔だけ出して天穹に天の川を見てもあまりうれしさを感じなかった。心に余裕がないのは悲しいことだ。この日ツェルト泊は僕だけだった。

二日目
北岳山荘〜北岳〜大滝〜両俣小屋幕営
 同行者と話し合った結果、昨日の残り半分の行程である北岳に至り、両俣小屋に下るコースをとることにした。昨日は八本歯に出てからガスが多く閉口したが、目覚めてツェルトから出てみると、今日はなかなかに晴れていた。朝焼けに映える北岳、白い靄の吹き上がり下れる稜線や雲の上に悠然たる姿を顕わす富士山などを思いがけず目にし、すり減った感受性にも一滴の甘露を得たような爽快な気分となっていた。
 結構早起きのつもりだったのだが3000mに90mほど足りないだけの小屋では5:30過ぎの起床というのは寝坊に過ぎず、小屋泊、天幕泊を問わず大半の登山客は起床し山行の準備をしているか疾くに出立していた。僕たちはといえば7:30を過ぎてのようやくの出発だった。そこには昨日やっつけるはずだった半分の行程を一日でやっつけるのだから急ぐ必要はないという気持ちもあった。確かに距離は短い。しかし舐めてもらってはこまるのだ。
 まずは北岳である。山荘からの標高差は300mといったところで地元の六甲山を阪急電鉄の最寄り駅からやっつけるよりたやすいようにも思える。が、ここは森林限界を超えた日本の第二の高峰である。僕が森林限界を超えたのは前回の八ヶ岳が初めてなのだ。歩き始めからいきなり息が苦しい。北岳の頂上まで僕たちはいくつかの小ピークを越え、何組かのパーティ、単独行者に追い抜かれつつ、そこに立つことが出来た。行程の間振り向けば北岳山荘を挟んで中白根山から間ノ岳の楽しそうな稜線が見える。今度はもっとまともな計画であそこを歩きたいと思う。
 そして、岩場をあえぎあえぎしてついに僕は日本第二の高峰に立つことが出来た。ところが実感はあまりない。この山域で一番高い山で森林限界も当然のように越えているので展望は申し分なかった。本日の残りの行程である、中白根沢頭への楽しそうな稜線やら明日の横川岳〜千丈3姉妹(とは言わないか)の別称、馬鹿尾根も見えている。
 そして僕は生まれて初めてこの目で「トレイルランナー」という種類の人間を見たのだった(山頂で見たのかは記憶に定かではない)。彼は機能性シャツ・タイツという出で立ちに25リットルくらいのランナー用ザックにローカットのシューズという装備でここまで往復日帰りらしい。上半身裸でパワーバー(これを食べている人も初めて見た)をガリッとかじっている姿が様になっていた。岩場が辛そうだったが、それ以外は基本的に走っているらしくあっという間に視界から消え去った。
 午前10時過ぎ、我々も出発することにした。ここからは非常に渋い登山ルートであり、調査したところでは過去の山行記録にも途中で別の登山者とすれ違うことは希と書かれてあった。実際、北岳の肩との分岐点付近で休憩(10:30)していたときも我々のコースを採っている者は皆無だった。でも、もしすれ違う人がいれば全員両俣小屋から登ってきているはずなのでコースの情報が聞けるはずだ。
 まず最初に出会ったのは単独の年上の男性と大学生のグループだった。大学生のグループではメンバーの一人がばてているらしくみんなでその人をなだめているような様子だった(自分でも歩いてみてそのつらさが身にしみた)。単独の男性にこのルートについて聞いてみるとまず楽しいといえるのは2841のピークまででその後はかなりきつく、だいぶ水は減っているが沢歩きも何度かの渡渉を強いられるとのこと。見てみると彼のザックには沢靴がくくりつけられている。渡渉といっても六甲山のトウェンティクロスくらいと甘く考えていた僕はちょっと嫌な予感がした。気持ちの良い稜線歩きを続け次にあった男性は、滋賀の山岳サークル(かなりハードそうな)の方らしい。見た目は60台でベテラン風である。比良山系には何度か足を運んでいるのでその話を少しした後、このコースについて聞いてみると「いや〜下りにはちょっと使いたくないね〜」とのこと(まじですか?)。どこから来たのか伺ってみると夜叉神峠からとのこと。え? 両俣のちょうど正反対ですが・・・。と聞いてみると南アに入って2週間目で、とりあえず、ぜんぶやっつけに来たとのこと。サークルの山行の下見だろうか。著名な山域のマイナーな登山道だけにこんな感じで出会う人がみんな「濃い」のであった。
 実際、2841のピーク付近まで(12:00)だってそれなりに岩場などのスリップしやすい地形があったものだが、ここからは本当にガイドブックにも載っている一般道なんですか?といいたくなるような急登だった。急なザレ場が露出する斜面という、もう滑ってくださいと言わんばかりの下りがつづく。非常に神経の疲れる場所だった。山行歴の浅い僕だからそう思うだけかもしれないがこれは「一般登山道」という語義への挑戦とも思われた。下りになると嬉々としてペースアップを敢行する同行者も後続者(僕ね)のしでかす落石を心配してか慎重な足裁きを維持していた。
 そんな下りを続けること1時間半〜2時間で沢に下る最後の急斜面にさしかかった。地面は柔らかいが滑りやすい土でしかも斜面が急すぎてステップが全然残っていない上、小石がいい感じにばらまかれているというそれはそれは嫌な道だった。そこで僕が出会ったのは巨大なジャックウルフスキンのザックを背負った大学生の一団だった。80リットルに及ぼうかというその絶望的に重そうなザックを背負った学生達はそれでもへこたれずこの斜面をやっつけるべく奮闘していた。すれ違いで彼らを待つ間(落石をの恐れを考えると完全に登り優先と思われたのでほぼ全員を待つことにした)リーダーらしき人物がメンバーに説明しているのが聞こえてきて、ここまでで1時間以上遅れているらしい。多分彼らは我々と全く反対の行程だから本日の幕営地はもっとも近くの北岳山荘に違いない。到着は夜半になるかも知れない。だが、殺人的な巨大ザックを背負って全員疲労困憊の色を見せていたにもかかわらず誰一人としてバテたという表情だけはしていなかった。彼らはきっと吐き気を催すようなトレーニングや新歓合宿をくぐり抜け、それでも辞めなかったメンバーなのだ。それにここで音を上げても誰も彼を迎えには来てくれないのである。異様な光景を感動しつつ見送る僕だが、僕がこの山岳部に入部してたらきっと一番最初に辞めた上、一生山には登らないような人生を送っていただろうなあ、とも思わずにはいられなかった。
 僕たちは這々の体で左俣大滝まで下ってきた。途中で出会った老登山者は大滝で大休止した僕たちを追い抜いていく。ここからは沢沿いに小屋まで行くだけだ。少なくともアップダウンは知れている。と思ったのが甘かった。途中で聞いていたのは渡渉が7回あると言うことだけだった。渡渉用の飛び石や丸太なんかははじめからないか、ほとんど水没したり流されていた。しかたなく僕たちはテン場用のサンダルに履き替えた。同行者のサンダルは沢歩きも想定された高級品でソールも厚いが、僕のはビーチ用のスリップオンシューズで、ソールは薄く数ミリといったところ。それでなくてもここまでの歩きで足裏は常に痛かったのだが、この薄いソールに僕はかなりいイライラさせられた。一歩毎に痛いのである。また、渡渉はどこも水位は足首位までだったが高地では初めてだった僕には大変冷たく、痛む足に響いた。しかも一見メッシュ構造で乾きが早そうに見えたが、実際にはぬれっぱなしでその点も僕を苛立たせた。また登山靴を首からぶら下げていたりでかなり辛かった。サンダルもちゃんと見て買わなければと考えさせられたのだった。
 結局渡渉が始まってからずっとイライラしっぱなしで同行者に迷惑かけっぱなしで両俣小屋に到着。だが、小屋に幕営の手続きをしに入ってみるとそこには事前に聞いていたおばあさん(失礼しました)ではなくなぜか若い女性が。僕は一瞬でいい小屋だなあ、と嬉しくなってしまったのだった。どうやらお子さんと一緒に里帰りで小屋を手伝っておられるみたいだった。小屋泊の登山者は見た限りでは単独のいぶし銀な男性ばかり数名でどなたもぽつねんと沢を眺めたりベンチでまったりしていたりとやはり渋い登山客ばかりなのであった不思議なのは大滝であった男性が見あたらなかったことだ。一体どこまで行ったのやら。小屋番さんはなかなか渋いおばあさんだった。小屋についたのは17:00頃で割とマナー違反な時間だったが親切に受け付けしてくださり幕営地の案内までしていただいた。また広場には余裕があり、ほっとした。幕営組は主に山岳部風や小パーティだった。ここでもツェルト族は僕のみだった。幕営地では単独の若い女性と話をしてときめいてみたり、小屋の猫に癒しを求めたり(首を撫でてもぴくりとも動かない泰然自若ぶり)、お弁当を頼んだり、夕食(アルファ米+薄切り餅)を摂ったりして就寝した。幕営地は石コロが少なく、平坦かつ水平で、小屋は発電しないのか燃料の匂いもなく、トイレの匂いはあったもののそれぐらいならば平気のヘイサなわけで、静かで大変寝心地が良かった。
 この小屋に寄る計画を立てるのはなかなか大変そうだけど、また来たくなる小屋だった。

三日目
両俣小屋〜仙丈〜北沢長衛小屋幕営
 あんまり寝心地がいいので完全に寝坊してしまった。幕営者はほとんど全員出発している様子だ。同行者も朝食はとっくに終えすでにパッキングに取りかかっている(っていうかもっと早く起こしてくださいって)。僕もカロリーメイトを口にしながら急ぎパッキングする。今日もかなりキツイ行程が待っているのだ。お弁当を取りに行ったら僕が最後だった。というわけで出発はなんと7時過ぎ(だったかな)。これで仙塩尾根を越えて大仙丈、仙丈、小仙丈、そして北沢長衛小屋まで行くのである。やる前から僕たちの間にはすでに微妙な空気(嫌な予感というやつである)が入り混じっていた。
 最初の稜線までの登りで1000m近く高度を稼ぐわけだが、昨日の冒険の後だからか、樹林帯の登りはむしろ僕をいい気分にすらしてくれた。
 樹林帯でGPSの受信状況が悪く正確な時間は不明だが、2時間かからず稜線に出ることが出来、順調に横川岳を過ぎる。記憶が確かではないが、この辺で登山道に赤テープを設置する初老の男性とすれ違う。普通に考えると仙丈小屋からだろうか。どこかの小屋の人かも知れない。とにかく足の速い人で自分の不器用な鈍足が恥ずかしかった。その後、見晴らしの良い岩場の手前で女性二人組に出会う。お話を伺うと、たしか仙丈小屋からここまで来られたらしい。4時出発だそうだ。僕らがまた全行程の5分の1といったところなのに彼女たちは(熊の平小屋泊とすると)すでに全体の4分の3はやっつけている。やはり山行だけは計画通りにやらないとダメである(僕らも3時起床の予定だった)。これからの山行では絶対予定通り起床する、と心に誓う。
 南アルプスの稜線歩きとは言え、ここは樹林帯のマイナールートである。小走りしつつ大仙丈に向かうという目論見ははやくも崩れ、両手をも使わねば通過できない箇所が多く僕たちを閉口させた。
 高望池につく。池と言っても僕たちの見たのは涸れて湿気が少し残るだけのくぼみだった。エアリアマップに水場マークが付いていたので探してみると池の西側の斜面を下ったところに確かにそれはあった。水量はいかにも少なげで取水できたとしても飲みたくなるような水かどうかは疑問だったので見送ることにした。また、ここは幕営には良さそうな広場だったが幕営禁止の看板があった。とはいえかなり古い幕営時のものらしきゴミなども散乱しており必ずしもそれは守られていないらしい。もし、仙丈から下ってきて次の幕営地(両俣あるいは熊ノ平)に間に合わないようなら不時露営するならここら辺になるのかな、とも思わせた。
 伊那荒倉岳についたのは11:00。特に展望はない。僕が生まれるより前のどこかの大学山岳部の登頂記念標がある。表面のペンキが消えずに済んでいるのはここが樹林帯の中で風雨雪をよく遮るためだろうか。
 小ピークを一つ越えると、奇妙なお花畑に出くわす。どうやらここが苳(ふき)の平(11:50)というらしい。山育ちで(標高は知れてますけど)両親の取ってくる山菜は結構口にしているくせに自分は完全インドア人間だったものだからこんなにまとまって生えていてしかも花が開いているのは初めて見た。大きな黄色い花が咲き乱れている。キノコ恐怖症の同行者は「気持ち悪いところだ」という感想だったが、僕は「きれいだなあ」と思っていたのだった。
 大仙丈に近づくにつれ標高は上がっていき、またもや森林限界を超え岩と這松の世界に戻っていく。どうも僕は高所に敏感なのか歩行ペースを落としているのにこのくらいの森林限界前後の高度(2000後半)でも呼吸が苦しくなったり頭痛に襲われたりする。精神的な原因からくる症状ならまだいいが本当に軽い高山病だとすると僕は富士山にも容易には登られないことになってしまう。当然ヒマラヤのトレッキングなどに臨んだとしたら普通よりかなり下で高度馴化しなければならないだろう。
 ここで僕は軽い尿意を催した。ここら辺は高山植物帯である。どこで用を足すかあるいは我慢するか。我慢するにしても近くに小屋はなし。今日はこんな時間だし、もう後続の登山者もいないだろうからと環境負荷の少なそうな登山道に用を足し、ほっとしていると、驚いたことに遙か彼方とは言い難い、わりと近くに親子の登山者の姿が見えてきた。しかもその父親と多分目が合ってしまった。これは恥ずかしいと思ったものの彼らの健脚に僕たちはあっという間に追いつかれてしまった。
 同行者が主に話をしていたが(この時の僕の役割は僕は恥ずかしさに主に下を向いている係だ)、北岳山荘からぐるっと間の岳を回ってここまでやってきたらしい。これはかなりの健脚だ。そして休憩もそこそこに彼らは言ってしまった。高校生くらいの子供の一人は七分丈のパンツで歩いていたが、這松迫る登山道にも彼の向こうずねは平気らしかった。その服装は父親への反抗なのか彼のこだわりなのか微妙に登山者らしくなく、僕の従兄弟のヒップホップダンサーの男の子の服装を思い出させた。
 いくつかのピークを越え、半ばフラフラになりながら大仙丈を目指していく。先ほどの親子3人はもう小さく見えるのみだ。本日の目的地は幕営可能な北沢長衛小屋で、今、その行程のやっと5分の3をやっつけたと言うところであろう。なんとか登り切った大千丈に到着したのは15:00過ぎであった。こんな時間であるからもちろん山頂は貸し切りである。同行者はここを仙丈ヶ岳と信じていたらしく(疲労のための勘違いであろう)山頂標をみて愕然としていた。
 さて、ここからこの後の行程がかなり先まで見通すことが出来る。もっと早い時間で余裕があったら美味しそうな稜線に見えたはずなのに僕はその距離に軽い恐怖を覚えた(見えてる分で残り行程の半分くらいなのである)ところが先行している親子が見えない。ずっと走っていったのならともかく、すでに稜線の向こうにいるというのはいくらなんでも無いだろう。幕営を諦めて仙丈小屋に降りたのか、あるいはどこかにビバークを試みたのか。僕たちはというと、小屋泊代がもったいないという理由で眼下に見える仙丈小屋をあきらめ、先に進むことにした。翳りつつある陽光の下で大仙丈から小仙丈への稜線はとても気持ちの良い稜線に見えた。15:00をとっくに過ぎたような時間でなければもっと楽しめたに違いなかった。見渡すかぎり同じ高度に人のあるはずもなし。もう幕営地か小屋にいなければおかしい時間だから。ところが僕たちが岩場をひとつふたつやっつけたところで甲斐駒ガ岳からやってきたという夫婦と遭遇した。僕たちがかなり焦りながら進んでいるというのに彼らは実に楽しそうだった。仙丈小屋にでも行くのだろうか。のんきそうな彼らが少し羨ましかった。
 すてきな遠望とは裏腹に小仙丈への行程もその時の僕たちにはかなり厳しいモノだった。ただ歩を進めているだけでも息が上がりかけているというのに(やはり僕は空気の薄いのには敏感な質らしかった)両手両足を使って越えなければならない場所や難しくはないものの転んでしまったが最期の箇所など集中力を欠くわけには行かない場所がつづく。もっとまともな計画(馬の背小屋に幕営地を求め、駄目でもそのまま北沢にトラバースしていったほうが楽だったに違いないが、次にいつ来られるかわからない僕たちは稜線歩きにこだわってしまったのだった。
 完全に日は落ちた。僕たちはヘッドランプを装備して、くたくたになった体でなんとか目的の幕営地である北沢長衛小屋にたどりついた。午後7時、すでに小屋は消灯時間になっておりしており受付けてくれたのは不愉快そうな表情を隠そうともしない小屋のアルバイト(だよねえ)氏だった。こんなことなら受付は朝にすればよかった。
 甲斐駒ガ岳をどうするかは明日決めることにして私は情けない気分でシュラフに寝入ったのだった。

四日目
北沢長衛小屋〜広河原〜甲府駅
 起きてみると天気は悪い方へ向かっているようだった。気分も良くなかった。なぜ自分がこんな山奥にいるのか、ほとほと厭な気持ちだったのだ。僕は大人げなくも同行者に「下山する」と宣言してしまった。で、下山することになった。甲斐駒は山頂付近は雲に覆われていてあの中はきっと雨と風に違いなかった。北沢のバス亭に着いた頃には雨が降り出していた。結果論に過ぎないが登らなくて正解だったと思う。あとで晴れ出したりしていたらもっと後味の悪い山行になっていたかも知れないけれど。帰りのバスはなかなか混んでいてここでも少し不愉快な出来事の現場に遭遇したけれど、そういうのはどうやらハイシーズンにはいつものことらしい。

感想
山行計画の立て方に大変なる問題をはらんだ山行だった。今後はもっと体力・装備に見合った計画にする必要があるし登山道の状況にももっと気を配った調査が必要だと思い知らされた。
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