八ヶ岳山行記録


文責/撮影

頓知亭


行 程
2005/07/某日
前日
JR三宮〜大阪駅〜塩尻駅〜茅野駅

一日目
茅野駅〜麦草峠〜高見石〜硫黄岳〜赤岳鉱泉

2日目
赤岳鉱泉〜行者小屋〜赤岳〜横岳〜硫黄岳〜赤岳鉱泉

3日目
赤岳鉱泉〜美濃戸口〜茅野駅
これが生まれて初めて森林限界を越えたところをまる一日歩いた記録。それまでの最高到達点は新穂高ロープウェイの山頂駅だったと思う。

準 備

 今年の春にツェルトを購入し、関西圏を中心に一泊の山行を重ねてきた。さらに最近は早朝登山を微妙に再開したりして2日連続の山行にもなんとか耐えられそう、と思えてきた。ここらでついに国内の有名な山域に挑戦してみてはどうだろうか。ゴールデンウィークに友人と二人でいった奥秩父・奥多摩は後半に膝が故障し実質失敗だったが今回は是非成功させたい。ということで標高の割には登りやすいとされる八ヶ岳に登ることにした。これで登山による人生最高到達標高が2800m台にのることになる。
日程は海の日を使った3連休ということにし、下山後の一日を念のため有給取得して(予備日/休息日)行きは急行ちくま、帰りは高速バスとした。

出 発

 金曜日、仕事場をほぼ定時に辞し、アパートに戻り、装備の確認をする。この段になっても僕は冬の低山行動時用防寒下着に使っていたタートルネックのシャツを加えるかどうか悩んでいた。ボッカ能力に自信がないため装備はできるだけ軽くしたいからだ。だが天気予報によると雨の可能性も捨てきれず結局持っていくことにした。
 JR三宮駅より大阪駅を目指す。連休前の金曜の夜であり会社帰りのサラリーマン風が多い。山行の格好をした人がちらほらと見える。一人ぐらいは八ヶ岳に行くのだろうか。混み具合を見て新快速は諦め(いつも白い目で見られるので)快速とする。車内は空席の方が多いくらいで時間に余裕をみていて正解だった。芦屋あたりで山行風の単独の若い女性が乗車してこられた。関西の駅では僕くらいの年齢の男性の登山者でもあまり見かけたことがなかったので、これはさすが連休というところか。
 ちくまの入線してくるホームに上がってみるといるわいるわ、全体の7割ほどが登山客であるらしい。これには驚いた。自分の乗る号車を確かめるべくホームをさまようと先ほどの彼女もやはりいた。
 席に着いてみると隣は登山客風ではない普通の格好の男性だった。話しかけてみるとどうやら大学の先生であるらしい。野外で何かの調査をするということで明日もその仕事らしい。山の話などにも通じておられ、学生時代以来滅多にないことと思い、あれこれ話し込んでしまった。それで結局名古屋まで眠らずにきてしまった。そのあと塩尻までは4時間ほど眠れた。どうせ話をしなくても山行への期待で興奮して眠れなかっただろうからおなじだ。塩尻についたのは4時で目的地の茅野行き始発は6時なので2時間暇である。下車した人は思いのほか少なかった。塩尻駅では早朝のことゆえ売店などもちろんやっておらず所在なくホームでぼーっとして過ごしていると突然雨が降ってくる。なんとも先行きが不安になってくるが10分ほどで止んだのでひとまずほっとする。始発待ちに慣れた登山客は誰もいない待合室にマットを敷いて仮眠を取っていた。駅寝はバックパッカーの専売特許かと思っていたが、なるほど登山客もやるものらしい。次回からは自分もやってみるか。
 茅野駅からはバス上の人である。八ヶ岳は年中人が多いと聞いていたが6時半ごろのバス停は空いていた。これはこの後の展開を知っていたらなんの不思議もないことなのだが。
 登山口をどこにするかは山行の3日ほど前まで悩んだ。結局バスを下車してすぐ縦走路に乗られる麦草峠にした。

一日目

 バスを下車すればすでに登山での人生最高到達標高である(まだ歩いてないけど)。麦草ヒュッテで山菜そばを食す。茅野駅前にて適当な朝食が得られなかったためだ。昼食もコンビニおむすびを現地調達すべく考えていたのだが手に入らず失敗だった。まあ、いざとなれば非常食に手を出せばいいと考える。そばを食べた分出発が予定より30分ほど遅れてしまった。登山道は地形図通りのゆるやかなもので問題なし。問題なのは天候である。やけに曇っている。高見石小屋で年輩x3、高校生風x3(適当)のパーティと出合う。高校の登山部ではなぜか顧問が何人もいるという話を聞いたことがあったので「部活?」と聞いてみたらそうではないらしい。ある種の野外活動ボランティアの下見かなにかと勝手に想像してみる。高校生風の一人が主に年輩者と今後の行動なんかについて話しているようで、なにやらサーダーっぽいのがなんか格好いいなあ、と思った。彼らが去ったあと高見石に行くと展望は360度全くなし。一人で高見石を独占できたのでよしとする。降りていくと小屋のバイトらしい青年が「阿呆がいる」といった表情。所在なく中山に向かう。
 このあたりからの記憶が定かでない。ガスが本格的に出てきて風が吹き雨滴となって我が身を打ち出したためである。気温は温度計で13度だったが風雨のため体感温度はもっと低い。出発前にためらったタートルネックシャツ(ユニクロ)を着、山行では今回初めて使用するゴアの雨具を着ける。ゴア雨具いきなり大活躍である。それでも若干寒いがないよりは断然良い。タートルのシャツも持ってきて正解だった。最初に着ていたのはドライ+冷感機能付きの長袖Tシャツ(やっぱりユニクロ)だったので風で体温を奪われ、かなり寒かった。重ね着は重要である。
 中山かその先の中山峠あたりだったろうか、先ほどの年輩+高校生風混成パーティに追いつく。高校生風の何人かはビニール合羽でかなりつらそうだが年輩風の指導と自分たちの若さできっと乗り切られるはず。がんばれ。
 他人の心配より自分の心配である。先に進めば進むほど人と出会わない。稜線にいる僕に向かって雨滴まじりの風が吹き上げてくる。初めての縦走路でいきなりのガス風雨で見通しもあまり無い。しかし有名な山域の動脈となる縦走路だけに行き先不明瞭な枝道はまるで無く(ガスで見えなかっただけかも知れないが)、分岐点にはすべて道標が完備されており、万が一、観光地図しかもって無くても赤岳鉱泉まで迷うことはなさそうだ。僕はコンパスに25000地図とエアリアマップ、さらにGPSも持っていたので目下現在地を見失わずにここまで来られていたが体力がどんどん無くなっていく。歩けば暖まるが立ち止まると雨具などで緩和されているとはいえ冷え込んでくる。そのうち少しクラクラしてくる。座り込んだら今度は軽い頭痛がする。もしや3000mにも満たない場所で高山病? 否、単にバテはじめているだけだと飴やブドウ糖を口に入れ、非常食のはちみつなどを吸いつつ進む。
 こんな日だからとはいえ夏の八ヶ岳の主稜線上にぼくはたった一人でいるのだった。視界が悪いのはもちろんだが、他には誰も見あたらない。八ヶ岳を独占して嬉しいような、たった一人放り出されて寂しいような気分になる。
 夏沢峠を越えたあたり(多分)で8人くらいのパーティと出会う。大学生くらいの若者と年輩者の編成だ。久しぶりに人と出会ったのでほっとした。休息中の彼らを過ぎ硫黄岳へと進む。なんと小学生(男子)連れの3人家族(推測ですが)と出会う。お母さんらしき人と話してみると「今日はきついですね」と笑顔である。とても笑える気分ではなかった僕だったがつられて少し元気が出てきた。へこたれることを知らない小学生はがんがん歩いている。僕は5分に1回休むといった情けないペースで歩く。しばらくは抜きつ抜かれつだったがすぐに先行された。すごい家族だ。
 山頂手前で先ほどの8人ほどのパーティに追いつかれる。僕はといえば相変わらずのローペースでケルンで風を避け休息しながら登っていく。なるほどケルンはただの目印ではなく避難所でもあったのだ。やっと山頂にたどり着くと先ほどのパーティがいてお互いの健闘を称えあっている様子(さっきの三人家族がいたかどうかはよく覚えていない)。へろへろの僕も彼らのいる山頂標らしきほうへ向かう。気づかれたらしくその中の一人がビデオカメラを僕の方へ向けてくる。彼らは僕を見て笑顔(のように見えたが記憶が薄い)を見せてくれるのだが、手を振る余裕もない僕は鼻水を垂らしながら力無く笑って頭を下げるのがやっとだった。今にして思えば彼らは単独でフラフラ模様の僕が行き斃れてしまうのをただ単純に心配してくれていたのかも知れない。
濃霧で白い世界と化した硫黄岳山頂  山頂は霧(雲)が立ちこめ全くの白い世界で足下にはこぶし大の石がごろごろしている。硫黄岳といえば爆裂火口壁と聞いていて期待していたのだが、それどころかこの山頂がどのくらいの広さを持つのかすら把握すらできない。ここには明日も来る予定だからとりあえず山頂標だけでもカメラに納めるべく近づいて行くと先ほどのパーティーのうちの若い女性ひとりが写真を撮ってくれるという。カメラを託すと彼女はにこやかに「笑え」とか「ポーズを決めろ」とかなんとか言っているが風雨と疲労でほとんど聞き取れず、あとで写真を見直したら、憔悴しきった男が情けない笑顔を貼り付けているなんとも切ない一葉となっていた。と、いうのは半分は嘘で実際には彼女がその場にあまりにも似つかわしくなく可愛いらしかったのでどうしたらよいのか分からなくなっていたのだった。僕は彼女の魅力的な笑顔と彼女の着ていた黄色のモンベルの雨具のことは一生忘れられないような気がする。
 挨拶をして山頂を辞す。ここまでこられたのだから赤岳鉱泉までも行かれるはずだ。下山していけば雲の下に出られるかも知れない。下山はいきなりガレ場で始まり先が思いやられたがさっきの彼女のこと思い出すとなんだか嬉しくなって元気が出てくる(もう、なにかが、おかしくなっていたのだろう)。ほどなく樹林帯に入り雨と風も収まった。ただただひたすら長い道のりだ。明日、ここを登って硫黄岳→横岳→赤岳と縦走することも考えていたがこの時点で逆ルートに決定する。GPSを時々見るがかなり下げたつもりでも実際はそれほどでもない。15分歩いたら休憩というようなペースで降りていく。座っても頭痛はあまりしなくなっていた。やはり高山病なのだろうか。沢をふたつか三つ渉ると突然話し声が聞こえ赤岳鉱泉に出た。雨らしい雨はなく、小屋前にたむろする小屋泊らしい人は皆、談笑している。さっきまでの世界が嘘のように穏やかだ。僕も小屋で幕営の手続きをして早速、炭酸入りの果実酒を所望する。周りを見渡しても濡れ鼠になって雨具がドロドロなのは僕だけだ。酒がうまい。ここも寒いのだけは同じなので雨具などは着けたまま、ほろ酔いでツェルトを設営し夕食を摂る。アルファ米に薄切り餅を投入し、フリーズドライのトンカツである。そのあとアンパンマンの描いてある子供用野菜ジュースを飲む。腹がくちくなったのでツェルト内でしばらくごろごろしてから就寝する。幕営指定地にツェルトは自分だけでなんだか気が引けてしまった。これで雨にでも降られていたら不愉快きわまりなかっただろう。途中目が覚めて夜空を見上げる。星が見える。明日は晴れてくれるかも知れない。小屋の明かりがあるせいか、夏のためか星空は実家のものとあまり変らない感じだ。設営場所に気を遣えばまた違った夜空が満喫できたのかも知れない。それも次回への登りしろだ。

二日目

 起床したのは5:30頃だったろうか、天気は申し分ない(でも本当に申し分なかったのは下山日の晴天であった)。幸運にも筋肉痛も腰痛・膝痛もない。幕営指定地から八ヶ岳を見上げる。山頂付近に雲がかかっているがあれは目の錯覚だろうと言い聞かせる。すでにかなりのパーティが出発しているようだ。何人かを見送るがかなりの軽装だ。昨日の風雨を思い出すにつけ、いくら何でも半袖シャツ半パンツはまずいのでは、と思う。或いは赤岳ピストンくらいなら問題ないのかもしれない。
 朝食はまずミニサイズのカップ麺に薄切り餅を投入したものを食し、そのあと空いたところにフリーズドライのスープをつくり、薄切り餅を投入したものを食す。幕営装備はそのままにし、サブザックなどという気の利いたものは持っていないが軽装となって行者小屋から赤石岳を目指す。最初は歩行距離を縮めるため文三郎道の予定だったが小屋前で小屋番さんが「悪路だよ」とおっしゃっていたのを小耳に挟んでいたのでルートを中岳沢横の新道とする。若干距離は伸びるがその分、阿弥陀岳を眼前に望めるだろう。分岐の手前だったかの沢で視界が開け赤岳、横岳が望めた。俄然やる気が出てきて歩を進める。樹林帯を折り返し折り返し登っていく。時々展望が開け、時々八ヶ岳の稜線が視界に入ってくる。そこを小さな雲が付いたり離れたりしている。今あの中はどんな風なのだろうか。  中沢横の新道を登り切らないうちに早くも最初の空腹感を覚える。まずい。今回は下山するまで食糧はカロリーメイト3箱分とはちみつと飴類だけなのである。なんとなく(現実を直視するなら確実に)このペースで腹が減っていったら足りない感じだ。とはいえ空腹でばててしまったら後が続かないのでカロリーメイトを一箱開けることにする。
 新道をを登り切るとコルに出る。右に阿弥陀岳、左に中岳と赤岳、そして横岳が展望できる。鞍部の広いところにはザックがデポされている。きっと両峰をやっつけるのだろう。僕は硫黄岳まで行かねばならないので阿弥陀は次回以降への登りしろとして諦めることにした。
赤岳から展望。富士山が見えます  硫黄岳から赤岳までを一望にしながら赤岳までのふたつのピークを過ぎる。昨日に比べると何もかもが意のままで簡単に過ぎるようにさえ思える。昨日、出会った人たちも今日の好天に心を遊ばせておられるだろうか、それとも今日は下山日で後ろ髪引かれる思いで振り返り振り返り下山路に歩を進ませているのだろうか。  今日の僕の心配事はただただ自分の燃費の悪さだけだ。今の食糧だと横岳通過までにすべて食い尽くし、幾らも勧めないうちにシャリバテになってペースダウンすることは目に見えていた。そうすると今日も赤岳鉱泉に夕方近く下山することになってしまう。硫黄岳を目指すか、きりのいいところで引き返し地蔵尾根に下るか悩みながら赤岳山頂に何とかたどり着く。登山による人生最高標高の更新だ。振り向くと富士山が雲上に黒いシルエットとなって浮かんでいた。山頂小屋は人が多いのでそのまま通り過ぎる。そして赤岳展望荘(だったと思う)で生まれてもっとも高価なミネラルウォータを所望した。4歳くらいの子供とその祖父らしい方が小屋の人と談笑しているのにはびっくりした。
高山植物。なんていう花かな  実は赤岳を越えたあたりから僕は地形図をあまり見なくなっていた。生まれて初めて徒歩で森林限界を超え、稜線は文字通り一目瞭然で地形図を確認しなくても絶対迷うことはない。普段なら練習の意味も込めて地形の変わり目、最低でもピーク、コルごとに地形図を見ていたが、もういいや、今日は勢いで行ってしまえ、という気分で鎖場や岩場、はしごを越えていく。数年前までは完全なインドア人間だった僕は簡単な岩場や鎖場でも尻込みしてしまうほうだが、今日はたいてい先行者がおり、しくじったら恐ろしいことになる場所ばかりなのは意識しつつも、いつもと違って先行者という手本を参考に手足を動かせばいいので案外に簡単だった。むしろ難しいのはこれまたいつものことだがガレ場、ザレ場の下りで石を転がさないことの方だった。高山植物の花が所々に咲いている。とあるパーティが高山植物のお花畑に女性メンバーを入れてモデルとし、男性メンバーが撮影しているのには、申し訳ないが内心で失笑してしまった。その前に花畑に踏み込むべきではないだろうに。
横岳稜線から赤岳を振り返り見る  気が付けば地蔵尾根も越え、横岳のハシゴや鎖の連続も過ぎ、硫黄岳山荘にたどり着いていた。やはりへとへとになっていた。この後硫黄岳、赤岳鉱泉への下りがある。僕はたまらずカレーライスを注文してしまった。食事が出るのを待つ間に計画書を見てみると食事をしても予定より早いくらいだ。幕営地ではゆっくり昼寝もできそうだ。ここでも水を買ったが先ほどよりかなり安かった。
 食事を終えて直ぐ出発したが、山荘から縦走路に出る階段でばててしまった。食べて直ぐの運動にはむりがあった。駒草神社の脇で10分ほど休息し血液の配分が胃腸以外にも割り振られるのを待つ。その後はカレーを食べたためだろうか俄然元気が出てくる。硫黄岳山頂までは気持ちよく歩くことができた。
硫黄岳。爆裂火口  山頂では早速山頂標を探し、昨日の彼女にとってもらったアングルで撮影する。後で見比べてみるためだ。爆裂火口壁も当然見ておく。これで昨日の敵はとった。
 今日はここまで申し分なしの景色を愉しむことができた。昨日が辛かっただけにその喜びも倍増されたように思う。広い山頂を歩き回り地元の低山ではなかなか味わいがたい雄大な景色を満喫し、昨日と同じ下山路をとって赤岳鉱泉へと向かう。昨日歩いたばかりでペース配分にも問題はないし、荷物が軽いからスイスイと下っていける。
 そして小屋に着いた僕は普段は好みではないので飲まない「下山後のビール」というものを記念にと試してみた。やはり旨いと感じたのは一口目ののどごしだけであとは単なる苦いビール味だった。やはり果実酒にすべきだった。その後の僕は満足感に浸りながら太陽に炙られいささか暑いテントの中で昼寝をし、夕餉を喰らい、就寝した。夕食の献立は昨日と変らずである。

三日目

 昨日早く就寝しすぎたので何度も目が覚めてしまう。なぜだか、夢の中での登山途中で滑落し、その瞬間の浮遊感に覚醒してしまうのである。今回はスリップしたりといったことはほとんどなかったのに不思議である。夜中の3時頃さすがに暇なのでこの山行の記録をつけることにした。しばらくすると他テントのごそごそ言う音が聞こえる。そうか、今から行けば山頂でご来光か。今日は下山日と決めて帰りの高速バスの時間に合わせてゆっくり美濃戸口を目指すつもりだったが、俄然登行欲が湧いてくる。よし、登り残した阿弥陀にでもやっつけるか、と靴を履こうとした瞬間、僕はがっくり来てしまった。いつもなら就寝前に、夜露を避けるため登山靴を袋に入れて保管しているのにこんな時に限ってそれを忘れていたのだ。僕の登山靴は夜露にびしょぬれとなっていたのだった。情けなくなった僕は直ぐに寝袋に収まり直してふて寝を決め込み、ご来光は次回以降への登りしろとした。
 8時頃、日が完全に昇りあたりは羽虫たちで騒がしくなりツェルト内も暑くなってきたのでバスまでは時間があるが美濃戸口の山荘に立ち寄り湯を求めることにしてだらだらと撤収をはじめる。が、時すでに遅し、大量のアブがぼくを襲ってくるのだった。昨日の南八の稜線でも思ったのだがこんな高地にどうして大量の羽虫がいるのだろうか。高山植物の花の蜜を吸うのは理解できるにしてもこの大量のアブはなんなのだ。登山客の血液でこれだけの数がまかなえるとは思えないのだが。
 アブを追い払いながら撤収を終え、小屋の人に挨拶をし幕営地を辞す。その後、アブよけにストックを振り回しながら、途中で出会った下山者と山荘に立ち寄ってアイスを食べたり、山荘の方に、この辺のアブは梅雨開けまでがひどい、と教えてもらったり、途中で道を教えてもらった女子校の登山部らしい一行が暑い中アブよけのためか全員が雨具を着けているのに感心したりしながら美濃戸口まで歩いた。そこでバスが来るまで風呂に入り地元産の牛乳を飲み、烏龍茶をいただき、下山者と雑談した。風呂では先生の先生とPTAの方々という風変わりな組合わせの登山サークルの方と話したりした。横浜から来たという方が多く、神戸から夜行で来たというと驚かれた。そういうのが普通だと思っていた僕の方でも驚いた。神奈川の一般的な登山者にとっての夏の八ヶ岳というのはもしかすると関西の比良山系とか行ったことはないが伊吹山くらいの位置づけの山なのかも知れないなどと思ったりした(標高はともかく登山口からのアルバイトは同じくらいか。比良には営業小屋ないけど)。また京王線終点の高尾山の話とか奥秩父・奥多摩を縦走したことを話題にするとたいてい話が合ったので助かった。  この二日間で山中を20キロほどを歩いたわけだが今回は関節も筋肉もそれほどは痛まなかった。全体を通してのアップダウンはそれほど極端ではなかったというのもあるが、最近のちょっとしたトレーニングの成果が現れているのかも知れないと思うと嬉しくなってしまう。今冬は厳冬期は避けるのを前提に比良、氷ノ山でのスキー登山や雪中泊を成功させたいと考えているのでこの調子でがんばっていきたいものだ。
 また、なぜか一度もアブや蚊に刺されることがないままに山行を終えることができて嬉しかった。これは自慢である

感 想
 一度の山行でいろいろな経験ができた。斜面を稜線へ向かって吹き上げてくるガスと雨滴は初めてのことでかなりうろたえた。想像するに慣れた人にとってはどうということもない状況だったと思う。ともかく雷がなかったのは幸いだった。
 次回は青春18切符を使っての南アルプス縦走3泊の予定だ。

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